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第9話:初めての過去問。33点という、想定内の現実

初めての過去問。33点という、想定内の現実

12月11日の夜、私たちは静かに興奮していました。

国語46.7、算数48.0。

あの「偏差値25.9」という数字が、まるで遠い昔の夢のように感じられる夜でした。おばあちゃんは口元に手を当てたまま、しばらく動けませんでした。みみちゃんは照れくさそうに笑いながら、でもその目には、確かな光が宿っていました。

でも私は知っていました。

本当の戦いは、ここからだということを。

歓喜の翌日に

翌日、私はみみちゃんの机に、一冊のテキストを静かに置きました。

志望校の、過去問です。

「まずは時間を計って、今の実力で解いてみよう」

みみちゃんはコクンとうなずき、真剣な顔で鉛筆を握りました。

33点

時計の針の音だけが、やけに大きく響いていました。

文章を読むのに時間がかかる。読んでいるうちに解く時間がなくなる。焦れば焦るほど、文字が頭に入ってこない。

タイマーが鳴った瞬間、みみちゃんの肩が、ほんの少しだけビクッと震えました。

鉛筆を置く音が、いつもより一際大きく響きます。

すぐに私は採点に取りかかりました。

全て終えて、赤ペンをコトリと置くと、リビングに深い静寂が訪れます。

国語、33点。算数、36点。

合計240点満点で、69点。

みみちゃんは答案と問題用紙を交互に見つめながら、小さく息を吸って、でも吐けずに止まりました。まつげが、かすかに揺れました。

泣くのかな?私は一瞬身構えます。

「……お母さん、やっぱり私、ダメなのかな……。模試の数字は上がったのに、本番の入試問題になると、全然解けないよ」

その声は、泣いていないのに、泣き声よりもさらに弱く切ないものでした。

私は胸が締め付けられるのを感じながら、それでも抱きしめようと伸ばしかけた手をそっと引っ込め、膝の上で強く握りしめます。母としての感情を、プロとして理性がグッと押しとどめてくれました。

今、抱きしめたら、この子の自信を壊してしまう。意志をもぎ取ってしまう。ここが限界だと勘違いしてしまう。

大丈夫、どうってことはない。これで不合格になったわけでも、挑戦者としての権利を失ったわけでもない。ただ、立ち上がる準備をしているだけ。もっと遠くへ飛ぶための助走をしているだけ。

「大丈夫!これは想定内だよ」

プロの目に見えていたもの

通常、受験生が初めて過去問を解くのは、遅くとも10月頃です。そこから3ヶ月ほどかけて、形式に慣れ、時間配分を覚えていく。

でも、みみちゃんが過去問を開いたのは12月。スタートがそもそも2ヶ月遅い。他の受験生は、もう何回も繰り返し解いている頃です。

しかも、他の受験生は、そこまでずっと受験勉強を続けてきて、やっと塾の先生や家庭教師から、「過去問を解いてよい」という「Goサイン」が出て、初めて問題に挑戦する。たった1回の公開学力テストで偏差値が上回ったというだけの実績で、初めての過去問に取り組んだみみちゃんが、時間切れになるのは、むしろ当然のことでした。

だから、私は焦りませんでした。

プロ家庭教師としての冷静な頭脳は、すでに「次の手」を計算していました。

この子に必要なのは、「全部解こうとすること」をやめさせることだ。

入試は「全問正解して満点を取るゲーム」ではありません。合格最低点を1点でも上回れば、勝ち。ならば、今のこの子の学力で、確実にその点数を「むしり取る」ための仕組みを作ればいい。

「解かなくていい」という言葉

私はみみちゃんを抱きしめるかわりに、その不安げな瞳をしっかりと見つめ、静かに、しかし、確信を込めて言いました。

「みみちゃん、よく聞いて。過去問の壁を見て怖くなったかもしれないけれど、プロから見れば、勝機は十分にある。これから、あなただけの特別な戦い方を教えるね」

算数の過去問を開き、大問を指差しました。

「算数はね、大問2以降の(2)や(3)は……」

私は一度、ゆっくり息を吸いました。

「本番では、もう見なくていい。解かなくていいの」

「えっ……?解かなくていいの?」

驚いて目を丸くするみみちゃん。その目の奥には、張り詰めた糸のような緊張がありました。

私はゆっくりとうなずきました。

「そう。命綱は、大問1の小問集合。ここを1問のミスもなく死守すること。大問2以降は(1)だけを確実に取る。難しい問題は、他の受験生に解かせておけばいいの」

「……全部、解かなくていいの?」

「うん。私たちは、誰もが取れる基本を1点もこぼさずに拾い集める。それだけで合格最低点には届くように、お母さんが作戦を組み立てるから」

その瞬間、みみちゃんの肩の力が、ふっと抜けていきました。張り詰めていた糸が、静かにほどけていくようでした。

夜、ノートに書いた言葉

その夜、みみちゃんが眠った後、私は魔法のノートの余白に、大きくこう書きました。

「試験当日、『奇跡』を起こせるのは、日頃から、試験時間の残り1割の時間を使って『ミスがないか』と見直しを徹底している受験生だけです」

「受験の『女神様』を怖い『魔物』にしてしまうのは、日々の小さなサボりを積み重ねてしまった受験生自身なのです。
『知っている問題ばかりが出て助かった!女神様、ありがとう!!』と言えるよう、間違った問題は必ず解き直しを!」

難しい問題は解かなくていい。でも、解ける問題は必ずとって欲しい。

そのためには、「試験時間中にいかにケアレスミスをなくすか」、「いかに過去問の解き直しを丁寧にして、同じ問題が出たときに確実に得点するか」という2点が「合格への絶対条件」になります。

親としてのありったけの愛情と同時に、「受験生」という単語をあえて使い、プロとしての毅然とした言葉を翌日のみみちゃんへと託したのです。

翌朝のみみちゃんとおばあちゃん

翌朝、ノートを開いたみみちゃんは、その文字をじっと見つめていました。

指先で文字をなぞり、小さく息を吸い、昨日雑に終わらせていた過去問の間違った漢字問題を、黙って最初から丁寧に解き直し始めました。

その横顔を、私はただ静かに見ていました。

「この子はもう、自分の受験として戦っている」

漢字と計算をやり直し、リビングに移動すると、おばあちゃんがゆっくりとみみちゃんの方を向きました。

抗がん剤の影響で、身体はとても辛そうだったけれど、その目だけは、いつものようにまっすぐで、優しくて、強かった。

「昨日はどう?できた?」

「国語、33点やった」

一瞬だけ、おばあちゃんのまぶたが揺れました。でもすぐに、ふわっと笑いました。まるで、33点なんて人生の中ではちっぽけな石ころだと言うように。

「そっか。じゃあ、次は34点取れるな」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと熱くなりました。

ああ、この人はいつだって「明日」を見ている。「未来」を信じている。

そうだ。次は34点とれる。その次の日は35点。そうやって一歩ずつ積み上げれば、40日後には70点を超えられる。

急に、目の前の霧が晴れたようでした。

この家が折れない理由は、この背中なんだ。

みみちゃんは、少しだけ笑いました。その笑顔は、33点の痛みを抱えたままなのに、どこか救われたような表情でした。

おばあちゃんの言葉は「おまじない」みたいでした。数字の重さを、ふっと軽くしてしまう。

「痛いの痛いの飛んで行け!」「怖いの怖いの飛んで行け!!」

それは今、まさに想像を絶する痛みに耐え、死の恐怖と闘いを繰り広げているおばあちゃんにしか使えない「奇跡の呪文」だったのです。

みみちゃんへ

みみちゃん。

あなたが「33点」という数字の前で、まつげを震わせていたあの日。お母さんの目には、もうゴールが見えていたよ。

そして、あなたのそばには、未来を信じ続ける人が、二人いたんだよ。

お母さんと、おばあちゃん。

だから、あなたは、あの日も、今日も、絶対に折れない。

辛いときは泣いたっていい。ただ、思い出して。涙の向こうにはいつも明るい太陽が燦々と輝いていることを。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今、もしお子さんの成績や、周囲からの言葉に傷つき、暗闇の中にいるのなら。 辛いときは、一人で抱え込まずに、私にその想いを預けてみませんか?

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